いつもご覧くださりありがとうございます
最近はスピリチュアル? 何それ 美味しいの?という感じになっている夏椿です。もう当たり前すぎて
それより何より面白いのは、起きてくる出来事にポジティブもネガティブもないってこと
そして、ポジティブだけの人、ネガティブだけの人もいなくてプラマイゼロってことが腑に落ちた
何があっても無くても大丈夫で、何が出来ても出来なくても、自分には価値があるってわかったんです
そもそも 私たちはスピリチュアルな存在です。ですから私たちの やることなすことすべてはスピリチュアル、スピリチュアルを特別視するのはもうやめました
学びたいだけの人
何を隠そう、ただ学びたいだけの人間だった
学んでいれば満足なんだ
生活に困っているわけではなかった
人生の節目で凹んでいた時、埋めるものが欲しかった
それが学びだった
本を読んだり 人の話を聞いたり 参考になる動画を視聴したり それで大満足
いい話聞いたな〜、感動した!
そんな学びたいだけの人間だった
何も始まってもいない
それでも、学べば行動に移したくなることもある
小さな小さな一歩を積み重ねていけば、それなりの蓄積が生まれる
本当の学びとは、知識をやみくもにインプットすることでも、記憶することでもなく、行動が変わることだったんだ
どんなことがあっても行動し続ける
難しくはないけど簡単なことでもないが、行動しないことには何も始まらない
3年くらいでは、まだ始まってもいないんだ
プラスとマイナス
プラスが大きすぎればマイナスに戻ろうとするし、マイナスが大きすぎればプラスに戻ろうとする
期待が大きすぎると失望が待っている、ヤバい失敗したとなると誰かが手を差し伸べてくれる
世の中は本当に、プラスとマイナスが同じだけバランスして波のように流れている
それもプラスとマイナスはコインの裏と表のように、瞬間に同時に存在することを実感できた
戻るところはいつだってニュートラルなんだ
今ここに生きるとは ニュートラルにいること
中今・中庸 ・今而(にこん)とも言う。仏教には而今という禅語がある、現代語に直訳すると「今、この瞬間」
過去は変えられないし、未来も思い通りにできない、できるのは、「今」この瞬間にいること
今この瞬間を味わうだけで、もはや変える必要も無く勝手に変わっていく
中高年が失敗してしまったら痛手だ
でも、過去は変えられない、できることは今この瞬間に集中することだけ
過去の失敗に引っ張られてネガティブになるのは、コスパもタイパも悪い
どんなに思い悩んでも、事態は変わらない
あの失敗があったから今度はこうしてみようと直感が働く
それをコツコツ行動に移すことで、一回り成長することができるんだ
失敗を失敗で終わらせないのが学びでもある
学ぶ人はタダでは起きない、何かを掴みとる
「失敗は鉄アレイのようなもの。筋トレと同じで、一定のストレスを受けると鍛えられて耐性がつく」と言う言葉を小耳に挟んだ
シンクロニシティか、やる気が出てくる
中高年であろうと失敗を恐れて行動できないのが、本当の失敗だ。だから学んで行動だ
人の目は気にしない
あなたが気にするほど他人はあなたに関心がないので大丈夫
どうしても周りの目が気になって辛いというのなら、それはあなたの「ものさし」であって実際とは異なる
実際は周囲の人はそこまで関心を持っていない。むしろ、自分のことで精いっぱいの人が多いから
人には人のものさしがある、それを価値観というのだろう
みんなから、あきれられているかもしれないけれど、今できることを真面目に一つ一つやるだけだ
今できることにフォーカスする
過去を悔やむより、今できることにフォーカスする
失敗は自分独自のデータ
自ら行動して得たデータは、本で読んだだけの知識や人から聞いた話とは重みが違うんだ
痛みを伴う失敗が多い人ほど、苦みばしった深みのある人生になる、胸を張ってそう言える
今できることを全力でやれば、人生が勝手に変わる
学びたいだけの人が行動する意味はそれだ
人に依存するのでもなく、自分で考える、答えはすでに自分の中にある
失敗をおそれず行動してほしい
と魂が叫んでいるような気がするので記事にしてみました
最後までお読みくださりありがとうございました